2011年11月22日火曜日
2011年11月15日火曜日
2011年11月11日金曜日
エデンの東
ジェームスディーンという役者の非凡さに改めて慨嘆しました。畑の中をぴょんぴょん飛び回る肢体、酒を飲み干す時の手、父の愛を欲して泣き叫ぶ時の顔、やり場のない怒り、ディーンの身体の隅々までが演じていると言いましょうか、素で演じるとよく言いますけど、そんなもんではないんです。映画の中で青年を演じさせたら、ディーンに並ぶ俳優はなかなかいないと思いました。今ぱっと思い浮かぶのは、リバーフェニックスくらいでしょうか。
粗暴な感じを出すことはさして難しいとは思いません。弱々しい感じを出すのも難しいとは思いません。ディーンは立っているだけで、そこにいるだけでもう人間の存在の悲しみを表現してしまうような人だと思います。
映画の特徴も『エデンの東』のクライマックスシーンもそうですが、『理由なき反抗』においても、最後はハッピーエンドでもない、バッドエンドでもないような微妙な終わり方をしていると思うのです。前者の作品では父親は卒中で不随、兄は狂って戦争に参加するのですが、そばには最愛の女性がいますし、父親とも和解するのです。後者では、仲間のプレイトーという少年は殺されますが、やはり最愛の女性と父親を獲得するのです。獲得と喪失という背反する要素があるのです。これがディーンという憂いを帯びた存在によって、結果的には悲劇的な
ものを超えた微妙と言わざるを得ないところまで到達してしまうのだと思います。
後のアメリカンニューシネマとは、まさにこういった微妙な部分を図式化、可視化するようなものであったのかもしれないと僕は密か思っています。でも、結局アメリカンニューシネマの時代にジェームスディーンのような俳優はいなかったがために、妙に悲劇的な作品ばかりが出てしまったのでしょうか。
粗暴な感じを出すことはさして難しいとは思いません。弱々しい感じを出すのも難しいとは思いません。ディーンは立っているだけで、そこにいるだけでもう人間の存在の悲しみを表現してしまうような人だと思います。
映画の特徴も『エデンの東』のクライマックスシーンもそうですが、『理由なき反抗』においても、最後はハッピーエンドでもない、バッドエンドでもないような微妙な終わり方をしていると思うのです。前者の作品では父親は卒中で不随、兄は狂って戦争に参加するのですが、そばには最愛の女性がいますし、父親とも和解するのです。後者では、仲間のプレイトーという少年は殺されますが、やはり最愛の女性と父親を獲得するのです。獲得と喪失という背反する要素があるのです。これがディーンという憂いを帯びた存在によって、結果的には悲劇的な
ものを超えた微妙と言わざるを得ないところまで到達してしまうのだと思います。
後のアメリカンニューシネマとは、まさにこういった微妙な部分を図式化、可視化するようなものであったのかもしれないと僕は密か思っています。でも、結局アメリカンニューシネマの時代にジェームスディーンのような俳優はいなかったがために、妙に悲劇的な作品ばかりが出てしまったのでしょうか。
2011年11月6日日曜日
2011年11月4日金曜日
2011年11月1日火曜日
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