2013年10月12日土曜日

 足のない鳥 Dirty Beaches


 2011年1月、北京のライブハウスDー22。今、観客のなかでひとりの男がギターを力強く叩き鳴らし、まるで世界の終末音のように不気味なリバーブ音が煉瓦壁に反響した。ステージに再び立ったその大柄な男は、重そうなダブルのライダースを脱いではだけたネルシャツ1枚になると、ポマードでべっとりとした髪を櫛で撫で付けている。背後では、50年代のロックンロールと70年代のノーウェイヴが合体したミニマルなトラックが延々と繰り返される。アジア人であるにもかかわらず、明らかにその男は浮いてしまっている。観客はまるで主演のトニーレオンを際立たせるぼやけた背景と化している。
 
 2ヶ月後にzoo musicからリリースされた『Badlands』は、アレックス・チャン・ハンタイ、またの名をdirty beachesの人生を一変させた。それまではカナダのモントリオールでコック長や皿洗いをしながら、bandcampに誰も聴かない宅録作品をアップしていた32歳の売れないミュージシャンは、今やPitchforkでbest new musicの称号を得たのだ。だが皮肉なことに、この記念すべきアルバムは、アレックスのディスコグラフィーのなかでは特異な存在であった。台北の暴走族であった若い頃の父親へのオマージュであり、アメリカ大陸を横断したときの記憶だ。それまでのアレックスの傾向であるギターやノイズのループによるエクスペリメンタルの姿はなく、代わりに裸のラリーズの“夜、暗殺者の夜”のベースライン、フランソワーズ・アルディの“Voila”のイントロのピアノのサンプリングという過去の遺産の上で、アレックスはジム・モリソンやロイ・オービソンと比較される低い声で囁き、ときに叫んでいる。ホノルルで暮らしたハイスクール時代に海岸でよく聴いていたウータンクラン、さらには全体の不穏な雰囲気からはブルース・スプリングスティーンの『Nebraska』の影響も伺える。
 しかしどんなに参照点を並べようと、『badlands』はアレックスというひとりの人間の人生に触れなければ、何も語っていないのと同じになってしまう。彼は台北、上海、ハワイ、サンフランシスコ、ニューヨーク、モントリオールと各地を転々としてきた。インタビューでよく語っているが、彼が故郷を思い浮かべる時、はっきりとした一つの土地の風景ではなく、いくつもの風景がコラージュされたものが見えるという。dirty beachesの音楽に包まれるとき、そこがどの時代の、どこの国の音楽なのか全くよくわからなくなる。濃霧のようなギターのイズのなかを彷徨い、ただはっきりと分かるのはアレックスの優しく、強さに満ちあふれた声だけである。dirty beachesには故郷といえるものはないかもしれないが、強いて言えば、かれにとっての居場所とは彼自身なのだろう。そして、日々孤独を抱えて生きる人間に、dirty beachesは自分という居場所を与えた。僕もその1人だ。
 
 『badlands』はアレックスにクソッタレの皿洗いをやめさせてくれた。ただ、彼はもうアパートに引きこもって自分だけのドローンを作るわけにはいかなくなった。彼に近づいてくるメディアやヒップスターたちは『badlands』以前の彼の膨大な作品群を無視した。みんなが彼のファースとアルバムだと勘違いしていた。ライブではファンから代表曲の“Lord knows best”をやるように期待されていた。過去を尊重しながら、常に変化を求めるアレックスからすれば、この状況は辛かっただろう。『badlands』は良くも悪くも彼を全く違う場所に連れて行ってしまったのだ。
 2年間のツアーの間、アレックスは曲を作る暇はなかったが、何かフレーズを思いつけば携帯電話にハミングを録音していた。アメリカ、カナダ、オランダ、イギリス、スウェーデン、スペイン、イタリア、ポルトガルと世界を回った。
 2012年1月、ノルウェーのバーゲンでのライブの日。dirty beachesとサポートメンバーの機材を載せた荷物が予定通りに届かないという事件が起きた。バーゲンでのライヴは以前、航空会社の予約ミスでできなかったこともあり、またライヴをキャンセルするようなことはできなかった。ライヴハウスの助けもあり、なんとかフェンダーローズ、ドラムキット、ギターアンプ、そしてマイクという最低限の機材を調達することができた。
 『The Spirit Of Crazy Horse』と題されたこの日のライブ音源はband campで聴くことができるが、このトラブルがとてつもないテンションをアレックスとメンバーに生み出した。フランシスコ・ギャロの吹くサックスの即興に乗って、フェンダーローズがムーグシンセのような野太い短いベースを刻み、dirty beachesの多くの曲のなかでも屈指のパンクである“Stye Eye”のギターはいつにも増して剥き出しで凶暴に、生ドラムのキックと矛先を合わせる。そこにアレックスのシャウトが重なるのだ。Suicide“Ghost Rider”のカバーはもうめちゃくちゃであるが、dirty beachesの未来を大いに感じさせる痛快なライブであった。
 アレックスはこのライブで確信した。観客におもねることなく、自分の好きなようにやるべきなのだと。ファンであれば分かってくれる。彼の目の前には発狂するノルウェーの人々がいた。
 

 2013年1月には再び目の前にはアジア人たちがいた。今度は原宿のアストロホールでのライヴ。不思議とオーディエンスとアレックスの隙間はなくなっているような印象を受けた。『badlands』は跡形も無く消え去り、あのノルウェーで見せた熱量はそのままに、ドラムマシーンとシンセサイザーで武装した新たなdirty beachesの姿がそこにはあった。サンプリングした音源をバックにギターを独りでかき鳴らしていたアレックスの後ろには、ギタリストのシャブ・ロイとシンセプレイヤーのフェミニエリという新たなバンドメイトがいた。2人はそれぞれインドとエル・サルバドールにルーツを持つミュージシャンだ。
 今までも『Night City』のようにエレクトロミュージックの匂いがする作品はあったが、2人の卓越したプレーヤーを迎えて最も変わったのは、よりライブが有機的な“生演奏”になったということである。dirty beachesがひとりであった時には決して実現できなかった、シーケンスに頼らない、マシンの奴隷ではない“ライブ・パフォーマンス”が可能になったのだ。
 今年の3月にリリースされた新作『Drifters/Love is the Devil』はタイトルからも分かる通り、2部作となっている。前半の『Drifters』からは前述したエレクトロを全面に押し出し、ミュージシャンdirty beachesの確かな成長を刻んだ快作である。いち早く公開された“Casino Lisboa”ではディスコ風のこぎみよいベースラインとドラムマシンによるシンバルを中心に16分のギターカッティングのような音が後ろで絶えず鳴っている。曲が1分過ぎたところでフェミにエリのシンセが曲に道筋を示す。そこからは最後までトレモロで極端にカットされた電子音や荒唐無稽なシンセソロが入り、曲全体はミニマルでありながらも構成するサウンドは非常にフレキシブルだ。6曲目の“Aurevoir Mon Visage”に関しては、フランス語で歌われている。表層を超えるという意味合いだと思うが、まさに世界中を転々としてきたアレックスならではの、イデオロギー、言語、人種、国籍、身分に囚われないという彼の強いアイデンティティーが伝わってくる。エレクトロミュージックに傾倒しはじめたのは、Andy Stottの『We Stay Together』を聴いて全く自分の知らない未知の世界があることを知ったかららしいが、当然、アレックスの常に変化を求める感性はそこに飛び込むことを即座に命令したのだ。
 『drifters』が表面であるとすれば、2部に当たる『Love is the devil』はより私的で内面的な部分を表現しているといえる。これは昔のdirty beachesを知る人からすれば、よく知っている面かもしれない。不穏なサックスと幾重にも重ねられたギターノイズ、その上の層にはピアノとシンセの高音が被さっている。
 『Love is the Devil』をレコーディングする前、彼は7年間暮らしたもんとリオールを離れ、5年間付き合った女性と別れ、ベルリンに降り立っていた。金もなく、知り合いもほとんどいない中、かつてデヴィッドボウイが新たな可能性と仲間を求めて行き着いたのと同じ地に立っていた。
 「パンツをはいとけ。いつチャンスが回ってくるかはわからないから。」アレックスの父親がよく言っていた言葉だ。そして、決してパンツを降ろすことが無かった彼の元に、友人のアントン・ニューコムから連絡があった。彼はベルリンにスタジオを持つミュージシャンだ。「おい、自由に俺のスタジオで録音していいぞ。俺の機材を使ってさ。ProToolsの使い方を覚えろよ。」
 アレックスは独りきりで『Love is the Devil』のレコーディングに臨んだ。アントンは朝から夜21時過ぎまで仕事をしていたので、それが終わっ深夜から次の早朝までは、アレックスは自由にスタジオを使えた。締め切りは近づいていたため、基本的には多くの作曲と録音を同時進行し、その後にラップトップで編集していった。
 出来上がった『Love is the devil』はそのほとんどがエクスペリメンタルである。言葉という表面を取り去った、アレックスの心臓をそのまま見せられているようで、胸を締め付けられ、また赦しを与えられるような感覚に陥る。まるでビリー・ホリデイの歌声のように、アレックスの紡ぎ出す音の塊は複雑な感情のひとつひとつを、分けること無く同時に見せることを可能にしている。怒りがあるかと思えば、その裏にはいつも哀しみがあり、楽しさの下にはいつも苦しみがある。葛藤という二分法では片付けられない矛盾をそのままアレックスは赦し、包み込むのだ。
 『drifters/Love is the devil』はdirty beachesの様々な側面を表面と内面に分けて、見事に音楽に結晶化させることに成功した。ピッチフォークでも前作に続いて、best new musicを獲得した。まあ、こんなことはアレックスからすれば些細なことかもしれないが。
 
 現在もアレックスはベルリンに住んでいる。今はフェミニエリとシャブ・ロイと共に北米ツアーの真っ最中だ。黄色い肌と浅黒い肌のアジア系の男たちがサングラスをかけて街を闊歩している。その姿だけ見れば、誰がこいつらがすごくクールな音楽をやってる奴らだと思うだろうか。でも、ひょっとするとこの3人がロックを引っくるめて音楽の未来であり、本来の姿なのかもしれない。人種、言語、イデオロギーを超えて届くのが音楽だからだ。
 また何年後か、いや数時間後かもしれないが、アレックスはベルリンを離れ、新たな仲間と安住の地を求めて旅に出るだろう。そういえば、アレックスはどこかのインタビューで自分のことをこんな風に喩えていた。
 「ウォン・カーウァイの『欲望の翼』を見たことがあるかい。その中でレスリーチャンが演じるヤディーは、いつも足のない鳥の話をするんだよ。そいつらは死ぬまで飛び続ける。大地に降り立つ日が、そいつらの死ぬ時なんだ。」アレックスも死ぬまで飛び続けるだろう。