2011年も残すところあと2ヶ月あまりとなった。今年も多くの映画を見た。ウディアレンの監督作品、ずっと見たかったフェリーニの『甘い生活』、マルクス兄弟やバスターキートンのコメディー、『キックアス』のようなB級映画も見た。
多くの映画を見たなかで、特別心に残った映画といえばイングマールベルイマンの作品である。『不良少女モニカ』、『蛇の卵』、『恥』という映画史に名を刻むクラシックを見たのだが、特に『恥』は素晴らしかった。
戦争映画でこれほど人間の真理に迫った映画があるだろうか。戦争の犠牲者である一般の人々が、外部世界の変化に応じて、自分たちの態度をも自在に変えていく。そこには強者に虐げられる弱者という単純な図式があるだけでなく、弱者は一転して強者にもなる、いわゆる「弱者の強者」が描かれている。主人公の夫婦は、必要であれば政府の味方になり、また過激派の味方にもなり、果ては敵の味方にもなる。世界の中でただただ翻弄される弱者は、どんなイデオロギーによっても色付けされていないことで、カメレオンのように立場を変えられるのである。
最後、夫婦は一人の若い兵士を騙し船に乗って亡命する。だが、船の回りには無数の死体が浮き、まるで逃げる夫婦の邪魔をするかのように行く手を塞ぐ。そんな中、婦人が夫に不可思議な夢の話をして映画は幕を閉じる。
あの夢の意味はなんだろうか。赤ん坊に言葉をかけようとしてかけられない夢。僕にはまだわからない。平和が訪れたときに、子どもを作ろうと語っていた夫婦。平和など幻想だということだろうか。
僕はベルイマンがこの映画を単なる悲劇として撮ったとは一概には言えないと思っているし、単なる戦争批判を超えたものだと思う。これは人間存在に対するベルイマンの認識である。戦争によってこの認識ができあがったのかはわからない。ただここにいるのは、戦時下であろうとなかろうとかかわらず、わけもわからず翻弄される人間の姿である。ベルイマンは彼らに同情するわけでもなく、かといって非難するわけでもない。ただ、彼は見るだけである。
それが結果的には悲劇的に感じられもするだろうが、僕にはそういった一切の観念を捨象したところに、この作品の本当の意味があると思う。
先に挙げた『蛇の卵』では、ナチズムが台頭する前夜の不穏な空気が描かれている。科学者は偉大なる目的を達成するための犠牲になる。結末が予言されたとき、その過程というものは一切意味を失う。人間もその観念の前に過程として消え去るのである。『恥』で過酷な現実の前で翻弄される夫婦も同じである。ベルイマンはいつの時代も変わらない人間という真実を掴んでいたのだろう。
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