2011年6月30日木曜日

チェイシング・エイミー

 ベン・アフレックのことが気になりだしたのは、つい最近であります。以前は顔の長いマッチョ野郎としか思っておりませんで、とても嫌いでした。出演者の中に彼の名前を見つけたら、その作品を避けてしまうくらいでありました。
 彼の印象が変わったきっかけは、『グッドウィルハンティング』でございます。ガスヴァンサント監督作、主演はマット・ディモン、名優ロビン・ウィリアムス出演、そして音楽はエリオット・スミス。失敗しようのないメンツを揃えた最高の青春映画です。もちろんベン・アフレックも出ているのですが、彼は主人公の友だち役であまり目立っておりません。
 この映画の素晴らしさは、主役のマット・ディモンとロビン・ウィリアムスら俳優陣の演技以上に、完璧に仕上げられた脚本にあると思います。よく練られていると素人の私でも感心しました。一人ひとりのキャラクターの性質や葛藤といった背景が、それが脇役であっても、ちゃんと描かれています。彼がどのような経験をして、どのような選択をするに到ったのかがちゃんと見えるのです。さきほど、失敗しようのないメンツを揃えたと言いましたが、脚本がもうまさに失敗しようのない傑作なのだと思います。
 この脚本は誰によって書かれたか?これがまた映画のような話なのですが、当時ハーバードの学生であったマットが、授業で書いたシナリオを親友のベン・アフレックに見せて、それから共同で書きあげられたものなのです。無名の若者たちの夢が詰まっているのです。ぼくはこの事実を知ってとても感動し、それからベン・アフレックに対する悪い印象が、がらりと良いものに変わったのです。(つづく)
 

2011年6月12日日曜日

ケーパース

 物語とは自分の過去を正当化することができるものだ。それは実際の事実とは関係ない、自分だけの事実だ。自分の人生を物語化することで、未来も変わる。リチャード・パワーズの言葉を借りれば、「過去とは、未来を変えるメモ書き」なのだ。人の目線なんて気にせずに自分の人生を好きなように物語ろう。そして、その物語が他者と共有されたとき、それはもう立派な文学であると思う。
 僕は平凡な大学生活を送ったわけではなかった。それは非常に楽しく刺激的な日々と、地味で恥辱にまみれた暗闇の日々をヨーヨーのように行き来するようなものだ。いや、どっちかというと、とても辛いことばかりだったかもしれない。
 僕の大学生活の全体を見渡してみて、自慢できることといえば2つある。まずひとつは本を誰よりも読んだこと、映画を誰よりも見たこと、音楽を誰よりも聴いたことである。これは誰にも負けない自信があるけれども、大して重要なことではない。僕はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の兄弟の名前を全部言える、ただそれだけのことだ。
 僕にとっては、軽音楽サークルのケーパースに所属していたことのほうがはるかに重要である。それは、60年代のファクトリー、70年代末のロンドンのブティックSEXと同じくらい僕には意味のあるものだった。
 
 

2011年6月6日月曜日

Smith Westerns "Dye It Blonde"

“Too Fast to Live, Too Young to Die” マルコム・マクラーレン

“Forever young, forever young 
May you stay forever young”   ボブディラン       

 「23歳はもう若くはない。その頃には今より音楽で成功していたい。」メトロミックスシカゴのインタビューでsmith westernsのフロントマン、カレン大森はこう答えている。10代の漲る自信と野心、年を取ることへの恐れ、不安など相反する感情が読み取れる言葉のように思う。彼らの1stアルバムをもう一度聞き返すと、ローファイなボーカルとファズの効いたギターから、感情の摩擦のようなものを感じ取れなくはない。
 しかし、2ndアルバム「Dye It Blonde」では、ローファイなサウンドは一気に後景に退き、スプーン2杯のコーラスと少々のディレイとリバーブが入った、甘くはっきりとしたサウンドが浮かび上がっている。ここにはもう不安や恐れの感情はなく、自信と野心に満ち満ちた音楽を愛する少年たちの楽しい感情で溢れている。Wavvesらカリフォルニアガレージとは一線を画す「All Die Young」で見られる複雑な曲展開には、若さだけでは押しきれない、確かなソングライターとしての才能も垣間見える。
アルバムタイトルである「Dye It Blonde」はアルバムのラストを飾る「Dye The World」から来ている。Smith westernsは確かにこのアルバムでこの世界を全く違った色で染め上げた。しかもその色は、永遠に価値が色褪せることはない、まるで10代を象徴するかのような、ゴールドなのだ。

2011年6月4日土曜日

大英図書館でございますよ。世界史に出てくるマグナカルタがあったなあ。
僕はこの図書館で涙を流しました。何に涙を流したか、それはジョン・レノンのHELPとポールのyesterdayの歌詞が書いた紙切れ。何で泣いたんだかなあ。当時のかれらの苦悩がその紙に写っていたのか。
僕はアッシリアの壁画に見とれてしまった。ずっと足を止めて眺め続けてしまった。ライオンを狩る人々の様子が描かれている。その躍動感たるや、筋肉の伸び縮み、隆起などすべてが写実以上の迫力に満ちているのだ。ライオンの襲い掛かる表情には戦慄を覚えた。

展示物






ロゼッタストーンです。

大英博物館



 僕が最も気に入ったのが大英博物館でした。2日間を費やしてぐるぐるとバターになるくらい回り続けた。それでもすべてを見たとは言いがたい。それほどの圧倒的スケールなんですよ。
数日して爺さんたちはいなくなりました。次に来たのはこれまたオーストラリア人。でも今度は同い年くらいの若いイケメンだった。彼はすぐ消えた。最後に爽やかな握手を交わしたのを覚えている。
最後の数日は得体の知れないスーツ姿の白人と、ラテン系不良グループと一緒になった。まさにカオス。ラテン系の奴らは一切何を言っているのかわからない。毎日夜中の3時頃に帰ってきてどんちゃん騒ぎするし。悪夢でありました。

じいちゃん

アールズコートの宿は確か8人部屋くらいでした。最初は大勢の爺さんたちと一緒になった。ほとんど何言ってるかわからず。英語なんですけどね。。上の爺さんの英語は唯一わかったから、少し会話しました。オーストラリア人で、これからアメリカに行くといってた。すごいバイタリティーです。

アビーロード

 宿に荷物を置くと、僕はすぐにアビーロードに向かった。ホテルのフロントのおばちゃんに場所を聞くとあんまり遠くはなかった。セントジョンズウッドという駅で降りればいいらしい。普通の住宅街だったから、全く場所がわからず、子連れのお姉さんに聞いてやっとわかった。見た目からはあのアビーロードだとは判断できなかったろう。普通の道路だ。車の通りが多く、とてもあんな写真は撮れない。
 まん前にあるアビーロードスタジオの壁にはファンによる落書きがところ狭しと殴り書きされている。


ここで数々の名盤が生まれたのだ。。。

ロンドン旅行記

ロンドン旅行記

 最初に泊まったアールズコートのホステル入り口です。

アールズコートといえば、僕にとってはオアシスのあの写真。ノエルがバンドメンバーにスクーターをプレゼントして、アールズコートの会場前で笑ってる写真。彼らの成功を象徴する有名な一枚を思い出します。僕はこのとき、アールズコートで撮ったことを知らなかったので、地下鉄から地上に出た瞬間にあの有名な建物がどかんと眼前に出現して、本当にびっくりして感激しました。
早朝のドゴール空港です。ここからトランジットしてロンドンに向かいました。誰もいなくて怖かったのを覚えています。パリ行きの便では、フランス人の中に僕一人という感じでした。