2013年2月17日日曜日

ロバート・キャパ / ゲルダ・タロー 二人の写真家

 「ロバート・キャパ」という名は当初アンドレ・フリードマンとドイツ人女性ゲルダ・タローの2人によって創出された架空の写真家である。僕はそんなこと知らなかったので、非常に驚いたのだった。キャパとはその誕生の瞬間から個人ではなく、複数の人間による匿名性を帯びた集合体なのである。1937年、タローはスペイン内戦の取材中に命を落とし、それからキャパはフリードマンが名乗るわけだが、それにしてもこの事実はかなり興味深いものだ。
 フリードマンは1913年に生まれている。第一次世界大戦が起きる前の年だ。第一次大戦は機関銃や戦車、毒ガスが使われた最初の戦争であり、犠牲者は甚大であった。戦争は国を豊かにするものではなくなり、ロマンティシズムを否定するようなものになった。大戦後はドイツは賠償金に苦しみ、戦勝国アメリカの帰還兵たちは職もなく、後遺症に苦しんだ一方で、豊かな物資の集中によって消費文化が広がっていき、ジャズエイジという黄金時代が訪れる。共産主義者に対するリンチ事件がこの喧噪の時代の幕開けであるとフィッツジェラルドは『May day』で書いている。キャパと交流のあるヘミングウェイもこの時代を代表する作家だ。彼の作品の主人公は著しく感情を現さない、屈強な男性が多い。『誰がために鐘は鳴る』の主人公は、キャパと同様にスペイン内戦に関わるのだが、彼は味方を逃がして自分は殺されてしまう。作戦は失敗する。たぶん、彼は語られ得ない存在として歴史の闇に消えていくだろう。
 フリードマンとタローが写し出すのは、特別な人ではなく、普通の語られないようなどこにでもいる人々である。僕は技術的なことはあまり分からないが、2人の写真は際立った特徴があるわけではない。ただ事実を淡々と映しているだけのように思える。でも、どれもかけがえのないものである。個人がどんどん失われる時代になって、全体主義が広がりを見せていく中で、翻弄される名もない個人たちの写真。彼らは歴史のなかに消えていく運命だ。ヘミングウェイの主人公たちのように、イデオロギーや歴史のダイナミズムのなかに埋もれて死んでいく。だが、そういった個人は無力であるが故に、拾われなければならない。キャパという架空の人物は、そんな中に必然的に登場してきたのだ。流通しはじめた小型カメラで戦場へと向かう男女。彼らは1人1人の個人を守ろうとする意識の集合体。それは偶然にもフリードマンとタローであったのだ。
 スペイン内戦の兵士や女性、子どもたちの写真を見つめる時に、キャパの存在が初めて浮かび上がるように思える。固有名詞を持った際立った写真家「キャパ」ではなく、無数の名もない個人の集合体であるキャパ。フリードマンとタローは写真家「キャパ」である以前に、彼らもまた時代に翻弄された個人なのだ。だからその1つ1つの写真からは、妙なエゴイズムというものが感じられない。被写体の表情は全く歪めらていない。同じ地平に立っている。それは例えば、家族とか友人、恋人を写すように自然で普遍的だ。それは時を経ても変わらず、人間が写真に、また頭の中に焼き付けている原風景である。だから、キャパの写真の前に立つ時、ふと誰かの表情を思い出したり、自分のおじいさん、おばあさんの写真を見ているような気分になる。

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