2012年7月3日火曜日

KINDNESS『World, You Need a Change of Mind』

芸術とは、自己表現の手段であるということが多くの人に信じられている。確かに、何かを創りだす時に、そこに自己が介入しないということはほとんど不可能なのかもしれない。ほとんどの表現者はそこに自分の気持ちを込め、創造物を自分の思ったように作り上げようとする。そしてその独自性こそが芸術の評価へと繋がってくる。芸術の受け手が求めるのは、強烈な個性を持った作品である。しかし、芸術とは強烈な個性にしか拓かれないものなのか?そうであるならば、芸術とは特権階級的なものに成り下がったと言われても否定はできまい。
だが、KINDNESSの『World, You Need a Change of Mindに映るAdam Bainbridgeの顔には、何かを積極的に訴えかけるようなものを感じない。真っ黒な長髪は目にかかり、頭は半分切れて映ってさえいない。動物のネックレスのほうが目立っている始末である。彼は全く自己表現から遠ざかるように傍観者のような目でこちらを見ている。
 冒頭の"Seod"では、シンプルなドラムマシンのスネアとキック、そして物憂げなシンセが重ねられている。Adamの声はリバーブを過剰にかけたブライアン・フェリー、曲の終わりの悲しげなブラスはRoxy Musicの『Avalon』の幕切れのようだ。
 続く"Swingin party"はthe Replacementsの、"Any one can fall in love"はAnita Dobsonのカヴァーである。どちらもオリジナルと聴き比べても、遜色ない素晴らしいものだ。後半にはEscortの"All Through the Night"をフックにした"Thats all right"もある。
 Gee wiz"のアンビエントをくぐり抜けて現れる至高の1分52秒のディスコチューン"Gee Up"は間違いなく今作のハイライトの一つである。余韻のあるピアノやシンセで構成されたHouse"、ベースラインが印象的な"Cyan"など彼のオリジナル曲も良いのだが、カヴァー曲の存在感、全編に渡って充満するリヴァーブは、Adamの表情をやはり完全に隠しているように思える。
 自己を消し去ってしまっている音楽、これがKINDNESSの目指しているところなのかもしれない。誰の表情も見えない中で、人々の差異はなくなっていく。そこでは誰もが主役なのだ。独自の個性がないと叩かれるのは仕方がない。ただ音楽、ひいては芸術とは、無数の名のない人たちによって支えられてきたものではなかったか。決して個人の表現欲を満たすだけの道具ではないのだ。かつてブニュエルは映画を作る理由を聞かれた時にこう答えた。「この世界が考えられる世界の最善のものではないということを示すため。」 
"World, You Need a Change of Mind" あんたは考えを改める必要がある。とAdamが世界に対して言う時、彼の心の中には芸術、音楽に対する怒りと屈託のない愛情があるのかもしれない。

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