キャメロンクロウが監督したパールジャムのドキュメンタリー映画を見た。パールジャムはグランジを語る時にニルヴァーナと共に欠かせないバンドだ。でも、僕はあんまり聴いたことがなく、『Vs』は聞いた覚えがあるけれど、全く覚えていない。単純にあまり音楽性が好きではないというのがある。ニルヴァーナがパンクよりだとすれば、パールジャムはスタジアムロックという印象で、あまり身体がノってこない。
グランジと言えば、ハードロックの流れを終わらせたムーヴメントとして語られる。ただ、このドキュメンタリーでのグランジという言葉は、当たり前の話だが関係者からはあまり聞かれず、メディア側が勝手に付けたレッテルとして扱われている。キャメロン・クロウはパールジャムというバンドを大きなロック史の流れで捉えることよりは、もっと普遍的な人間関係に焦点を当てている。
私は知らなかったのだが、エディー・ベダーが加入する前に「マザーラブボーン」という前身バンドがあったのだという。そのグループのボーカルであったアンディーがドラッグのオーヴァードーズで帰らぬ人となり、そういった失意と絶望の淵から、エディー・ベダーという若者の送ったボーカル入りデモが再び光をもたらし、パールジャムというバンドがスタートしたらしいのだ。
今でさえ、スタジアムが似合うバンドではあるが、昔の映像の彼らはニルヴァーナも同じく、いかにもシアトル出身のシャイな若者たちによるローカルなバンドという印象を与える。歌詞の内容に関しても、初期のエディーが歌うのは父親との関係である。売れてからもカート・コベインの死、商業主義的な興行との対決、そしてライヴでの死亡事故など、彼らは常に自分たちの現実の中で戦い、それ以上の何も見ていない。有名になっても彼らの幸せは、地下室に行ってみんなで演奏して、レコーディングをして、小さな会場でライヴをやることなのだ。
彼らはアンディーやカート・コベインの死をずっと心に抱え、そしていつでもファンのことを考えて生きている。仲間のために、ファンのために、この精神こそがグランジと呼ばれたムーヴメントの正体なのだ。それは決してハードロックを破壊するために生まれたわけではなく、ロック好きな少年たちの自分自身の居場所を見つけるための戦いであったのだ。
キャメロン・クロウは自伝的作品『あの頃ペニーレインと』でも描かれているが、60年代から70年代のロックのロマンスがあった時代に活躍した音楽ジャーナリストである。あの時代のヒーローたちはみんな公私関係なく格好良かった。全身全霊でロックンロールにぶつかって死んでいったやつらだ。パールジャムはザ・フーやレッドツェッペリン、ニールヤングといった偉大なる先人たちへの崇敬の念を隠さない。キャメロン監督はそういった先人たちの持っていた精神性と通じるものを彼らの中に感じたのだろう。確かにパールジャムにはあの頃のヒーローたちが持っていた真剣さと危うさがあると思う。
音楽を抜きにして、生き様がかっこいいというバンドは、今どれくらいいるだろう。リバティーンズは間違いなくそういうバンドだったと思うが。結局、僕も10代のキッズと同じく、馬鹿みたいに真摯で危うい、神話を作っちゃうような奴らを待ち望んでいる。
2012年4月27日金曜日
2012年4月25日水曜日
マルクスブラザース、チャップリン、ウディーアレン、北野武の笑い。
マルクス兄弟の作品は面白い。アダルトビデオの話ではない。アメリカのコメディ映画の話だ。ちょびヒゲのグルーチョの口から放たれるジョークやギャグの切れは素晴らしいし、あの腰が抜けたような歩き方もおかしい。ハーポの道化っぷりとあの可愛らしさ、そしてハープ演奏には目を見張るものがある。そしてチコのずる賢い顔とハーポとのやり取りは完璧で、彼の一本指で弾くピアノも最高だ。
彼らの作品はどれも舞台設定が変わるだけで、やっていることは同じだ。グルーチョとチコとハーポが美男美女のロマンスに絡むように暴れ回る。出てくるギャグも一緒。でも何度見ても笑ってしまう。1930年代のコメディを見て2012年を生きる20代の男が笑っている。それ自体とてもおかしいことのようだ。
「笑い」というのは不思議だ。単に面白いから笑うだけでなく、悲しい場面でも笑うし(例えば、葬式でお経を読んでいる時など)、ジャックニコルソンお得意の狂気の笑いというものもある。もちろん、マルクス兄弟の笑いはただ単純に面白いという原因から起こる笑いだろう。悲しさは微塵もない。バスターキートンはいつも無表情でおかしなことやる。これはちょっとグルーチョのやり方と似ている。そして、ウディーアレンもこの系譜だろうか。特に初期のウディーはだいたいそうだろう。真面目にやろうとしているのにそれが反って滑稽になってしまう男を演じるのがうまい。例えば、女の子とセックスをする前に部屋の窓を閉めようとするけど窓が全然閉まらない。あとは、かっこよく脚を組み替えようとして、目の前のテーブルに載った食事を全部ひっくり返してしまうとか。あとウディーで個人的に好きなのは、哲学用語を使って女の子と喧嘩する場面だ。これも真面目な言葉を使っていながらとても滑稽なのだ。
チャップリンはどうしても悲劇的な感じが付いて回るようなイメージだ。僕はチャップリンのコメディが苦手なのは、政治とか社会問題に妙に首を突っ込んでしまっているところなのだ。笑えるけど、悲しい。これはチェーホフの得意とするところだが、チャップリンのはまた少し違う。喜びと悲しみの感情が表裏一体であるチェーホフに対して、チャップリンではそれは分離していると思う。そういう感情の明白な転換についていけないのだ。
マルクス兄弟のコメディはチャップリンに比べれば、映画と言えるレベルではないのかもしれない。ただ映画は娯楽である。それはファンタスマゴリアと呼ばれた時代からそうなのだ。もともと人々をびっくりさせてやろうという子供じみた好奇心からできたのだ。チャップリンはコメディー映画を単なる娯楽という次元から引き上げた功績には素晴らしいものがあるが、マルクス兄弟の職人芸もそれと同じくらい評価されるべきであろう。
コメディーを手段として使うということがチャップリンではよくある。目的ではなく、正面からは到底太刀打ちできないもっと大きなものを攻撃したりするための武器として。ただこれを勘違いして、真実自体を隠すための手段として笑いを使う人間もでてきてしまった。アート・スピーゲルマンはロベルトベニーニの『ライフイズビューティフル』を、アウシュビッツ問題を抽象化し、一般的な悲劇化してしまったといって痛烈に批判する。ベニーニは息子と収容所に収監されてしまう。しかし、ベニーニはそれをゲームだといって息子に真実を見えないようにする。笑いはそこでは何かを暴露するためではなく、巧妙に隠す手段として使われてしまっている。
チャップリンは結局、コメディーから逸脱して、その土台の上で演説をしているように感じるときがあるが、ウディーアレンがやる笑いは、コメディーから逸脱しないことを徹底していると思う。普段では言いにくい上流階級への皮肉、人種問題、性の問題などを笑いによって揺さぶり、逆に真実を浮かび上がらせる。ベニーニがやったことはその逆になってしまった。結局、深刻な問題を笑いに変えるのではなく、それを見ようとする観客に対して、目の前で踊ってみせることで気をそらせたに過ぎないのだ。だから、あの映画を見て心底笑うなんてことは無理だ。見た後に腑に落ちない気分にもなる。
日本においても、テレビの笑いは何かを隠してしまっている笑いになっている気がする。深刻な問題を笑いに変えられる人物はあまりいない、爆笑問題がチャレンジしていると思うが。現在の吉本興業代表する笑いというのは、こちら側に笑うための土台を必要する場合が多い。身内の暴露話やお決まりのネタ、文脈がある程度わからないと笑えない、人物を知っていないと笑えないということをやっていることがあると思う。多分、彼らのひとりが深刻な人種問題を持ち出そうものなら、編集によってすぐにカットされるであろうし、その人はもう番組に呼ばれないのかもしれない。それは推測だが、これだけは明白だ。たぶん、観客は静まり返るということは。
ある一定の雰囲気の中で起こる笑いとは、世間との摩擦、違和感の交差するところで笑わせた先人たちの笑いとはまったく違う。あまり僕は好きではない。笑いはもっと原始的で、暴力的あると思うからだ。ビートたけしがやる笑いは、暴力だ。やりすぎなのではないか、保守的な父兄が抗議をしてくるような、ギリギリの笑いである。そして、北野武がやる笑いは、いつも死と隣り合わせでいる。ヒリヒリとしている。笑いの中に狂気も愛もあるし、その笑いの外にもっと大きな人間の生と死を浮かび上がらせている。テレビではマルクス兄弟のような原型的な笑いを行い、映画においてはもっと笑いという感情の奥底を見つめる。ウディーアレンもそうだろう。
笑いは暴力だ。北野武が『CUT』のインタビューでそんなことを言っていたと思う。ということは、笑いはもっとも原始的な人間の形であるということだ。暴力とは権力や建前を壊すために使われ、そしていつも権力側によって隠すためにも使われてきた。笑いもそうなのだ。さあ、僕らがやらなければいけない笑いはどちらだろうか?
彼らの作品はどれも舞台設定が変わるだけで、やっていることは同じだ。グルーチョとチコとハーポが美男美女のロマンスに絡むように暴れ回る。出てくるギャグも一緒。でも何度見ても笑ってしまう。1930年代のコメディを見て2012年を生きる20代の男が笑っている。それ自体とてもおかしいことのようだ。
「笑い」というのは不思議だ。単に面白いから笑うだけでなく、悲しい場面でも笑うし(例えば、葬式でお経を読んでいる時など)、ジャックニコルソンお得意の狂気の笑いというものもある。もちろん、マルクス兄弟の笑いはただ単純に面白いという原因から起こる笑いだろう。悲しさは微塵もない。バスターキートンはいつも無表情でおかしなことやる。これはちょっとグルーチョのやり方と似ている。そして、ウディーアレンもこの系譜だろうか。特に初期のウディーはだいたいそうだろう。真面目にやろうとしているのにそれが反って滑稽になってしまう男を演じるのがうまい。例えば、女の子とセックスをする前に部屋の窓を閉めようとするけど窓が全然閉まらない。あとは、かっこよく脚を組み替えようとして、目の前のテーブルに載った食事を全部ひっくり返してしまうとか。あとウディーで個人的に好きなのは、哲学用語を使って女の子と喧嘩する場面だ。これも真面目な言葉を使っていながらとても滑稽なのだ。
チャップリンはどうしても悲劇的な感じが付いて回るようなイメージだ。僕はチャップリンのコメディが苦手なのは、政治とか社会問題に妙に首を突っ込んでしまっているところなのだ。笑えるけど、悲しい。これはチェーホフの得意とするところだが、チャップリンのはまた少し違う。喜びと悲しみの感情が表裏一体であるチェーホフに対して、チャップリンではそれは分離していると思う。そういう感情の明白な転換についていけないのだ。
マルクス兄弟のコメディはチャップリンに比べれば、映画と言えるレベルではないのかもしれない。ただ映画は娯楽である。それはファンタスマゴリアと呼ばれた時代からそうなのだ。もともと人々をびっくりさせてやろうという子供じみた好奇心からできたのだ。チャップリンはコメディー映画を単なる娯楽という次元から引き上げた功績には素晴らしいものがあるが、マルクス兄弟の職人芸もそれと同じくらい評価されるべきであろう。
コメディーを手段として使うということがチャップリンではよくある。目的ではなく、正面からは到底太刀打ちできないもっと大きなものを攻撃したりするための武器として。ただこれを勘違いして、真実自体を隠すための手段として笑いを使う人間もでてきてしまった。アート・スピーゲルマンはロベルトベニーニの『ライフイズビューティフル』を、アウシュビッツ問題を抽象化し、一般的な悲劇化してしまったといって痛烈に批判する。ベニーニは息子と収容所に収監されてしまう。しかし、ベニーニはそれをゲームだといって息子に真実を見えないようにする。笑いはそこでは何かを暴露するためではなく、巧妙に隠す手段として使われてしまっている。
チャップリンは結局、コメディーから逸脱して、その土台の上で演説をしているように感じるときがあるが、ウディーアレンがやる笑いは、コメディーから逸脱しないことを徹底していると思う。普段では言いにくい上流階級への皮肉、人種問題、性の問題などを笑いによって揺さぶり、逆に真実を浮かび上がらせる。ベニーニがやったことはその逆になってしまった。結局、深刻な問題を笑いに変えるのではなく、それを見ようとする観客に対して、目の前で踊ってみせることで気をそらせたに過ぎないのだ。だから、あの映画を見て心底笑うなんてことは無理だ。見た後に腑に落ちない気分にもなる。
日本においても、テレビの笑いは何かを隠してしまっている笑いになっている気がする。深刻な問題を笑いに変えられる人物はあまりいない、爆笑問題がチャレンジしていると思うが。現在の吉本興業代表する笑いというのは、こちら側に笑うための土台を必要する場合が多い。身内の暴露話やお決まりのネタ、文脈がある程度わからないと笑えない、人物を知っていないと笑えないということをやっていることがあると思う。多分、彼らのひとりが深刻な人種問題を持ち出そうものなら、編集によってすぐにカットされるであろうし、その人はもう番組に呼ばれないのかもしれない。それは推測だが、これだけは明白だ。たぶん、観客は静まり返るということは。
ある一定の雰囲気の中で起こる笑いとは、世間との摩擦、違和感の交差するところで笑わせた先人たちの笑いとはまったく違う。あまり僕は好きではない。笑いはもっと原始的で、暴力的あると思うからだ。ビートたけしがやる笑いは、暴力だ。やりすぎなのではないか、保守的な父兄が抗議をしてくるような、ギリギリの笑いである。そして、北野武がやる笑いは、いつも死と隣り合わせでいる。ヒリヒリとしている。笑いの中に狂気も愛もあるし、その笑いの外にもっと大きな人間の生と死を浮かび上がらせている。テレビではマルクス兄弟のような原型的な笑いを行い、映画においてはもっと笑いという感情の奥底を見つめる。ウディーアレンもそうだろう。
笑いは暴力だ。北野武が『CUT』のインタビューでそんなことを言っていたと思う。ということは、笑いはもっとも原始的な人間の形であるということだ。暴力とは権力や建前を壊すために使われ、そしていつも権力側によって隠すためにも使われてきた。笑いもそうなのだ。さあ、僕らがやらなければいけない笑いはどちらだろうか?
2012年4月22日日曜日
2012年4月12日木曜日
レイモンド・カーヴァーは肉体的だ
最近レイモンド・カーヴァーの短編を集中して読んでいる。僕は去年から英語で書かれた小説に関しては原文で読むというルールを自分に課したのだが、やはりまだまだ自分の英語力ではピンチョンやパワーズのような博覧強記の作家の書く英語を理解することは難しく、ついこの間もヘンリーミラーの『Tropic of cancer』のあまりの比喩の多さと長大さに屈したばかりだ。
そんな中出会ったのがカーヴァーである。彼は言わずと知れたアメリカ現代文学を代表する短編小説の名手だ。村上春樹が翻訳を出しているので、日本でも知名度は抜群であろう。短編であれば挫折する心配はないし、村上春樹が紹介しているとなれば面白いに決まっていると思い、彼の処女短編集『Will you please be quiet, please?』(邦題は『頼むから静かにしてくれ』)のペーパーバックを購入したのだった。
読み始めて最初に気づくのが、その文章の平易さである。難しい単語はほぼ使われていないし、言い回しに関してもくどい比喩表現は全くない。ただ淡々と状況を描写する言葉が並んでいる。無駄な部分は一切ない。これはヘミングウェイの短編を読んだときの感覚に近いものがある。この文体を見ただけでレイモンドカーヴァーが非常に肉体的な作家であることがわかる。扱うテーマも文章と同じく浮ついてはいない。私たちの日常で起こりうること、例えば学校をさぼって釣りに行く少年の話とか、レストランに来る太った男の話だとか、どれも自分の周りにいそうな人物であったり、出来事である。
カーヴァーのすごいところは、何の変哲もない日常の風景を面白く、恐ろしく描けるところにある。そういってしまうと簡単だが、カーヴァーの日常から何か深いものを浮かび上がらせる力は本当に天才的だ。言葉の使い方や言い回しでその面白さや恐ろしさを表すのではない。言葉はこの上なく平易で変なトリックも使っていない。しかし言葉と言葉の隙間からこちらを覗く存在がいることを読者は目の端で常に意識することになる。それは言葉では言い表すのが難しい。
カーヴァーの世界では全てのものの背後にその「こちらを覗く存在」がいる。彼の作品では会話が中心になることが多いのだが、登場人物たちの会話はとても自然で間の取り方も絶妙だ。違和感なく読者も一緒の席に座っているような気分になる。そして会話自体や会話の途中での登場人物たちの手の置き場所、目線の移動、はたまた彼らを取り巻くテーブルやイス、消えたテレビ、飼っている猫などそこにある全てのものの背後に「こちらを覗く存在」がいる。
人間と人間の関係には、どうしても乗り越えられない不和がある。カーヴァーの紡ぐ言葉の行間から覗く存在とは、人間存在の根源に繋がるものだと思う。
カーヴァーは、ヘミングウェイやフラナリー・オコナーを好んで読んでいたこともあるらしい。ただ彼の文体には、彼自身の人生経験が大きく反映している。父のクレヴィー・レイモンド・カーヴァーの死、結婚、師ジョン・ガードナーとの邂逅。
中でもカーヴァーに最も書くことについて教えてくれた人は、彼の2人の子どもたちだという。
"I have to say that the greatest single influence on my life, and on my writing, directly and indirectly, has my two children. "(『FIRES』P.31)
若いカーヴァーにとって、子どもたちの存在は大きな希望というよりむしろ絶望を与えた。彼は家族を支えるために、製材工場働き他にも清掃員や配達員、夏はチューリップ摘みなど様々な仕事に追われ、非常に貧しい暮らしを強いられていた。彼はそんな中で、1、2時間の空いた時間を作って、作品を書いていたのだ。限られた時間の中では、長編小説を書くような集中力を保つことは難しい、そして毎日の暮らしに忙殺されているカーヴァーは、自分と全く関係ない世界の出来事を書こうとも思わなかった。こうして、彼は自分の生活の中で特異な文体を獲得したのである。
だから彼の作品の多くは諦念や絶望があるにも関わらず、生きて行こうとするわずかな希望も残しているように見える。道が開けるというような大きな希望が前にあるわけではなく、かろうじて今この瞬間、私の足元には道が続いている、という類の希望である。
僕は"To look up or down no road but it stretches and waits for you, however long but it stretches and wait for you, "というウォルト・ホイットマンの詩『Song of the Open Road』の一節を思い出す。道が続いていますように、カーヴァーが子どもたちの世話や仕事に追われながら、こう祈っている声が聞こえてくる気がする。
カーヴァーは70年代、アルコール依存症に苦しんだ。そして見事克服するのだが、今度は癌に冒され、1988年に50歳の若さでこの世を去った。私は今、彼の最高傑作との呼び声高い『CATHEDRAL』を読んでいる。私の印象では、彼は自分の知っている世界しか書かないとはいえ、決して自伝的に記憶をたどって書く訳ではない。彼は柴田元幸氏の言葉を借りれば、「読者的な作家」である。彼自身、自分の書く小説の筋を書く前から把握してはいず、先に少し見える光を頼りに目の前を掘り進んで行く。どこに出るかは本人もわかっていない。だから彼の小説の人物たちは、とても生き生きしていて妙に型にはまっていない。そこがカーヴァーの大きな魅力の一つだと思う。ただ『CATHEDRAL』の中では、少し物語を近くに置いているというよりは、自分自身の懐近くに置きすぎているように感じる。アルコール依存の男の話などはやはりカーヴァー自身を思い起こさずにはいられない。それはカーヴァーにのめり込みすぎている自分のせいなのかもしれないが。ただ今のところ、僕にとって一番信頼できる作家はカーヴァーであることは変わらない。
そんな中出会ったのがカーヴァーである。彼は言わずと知れたアメリカ現代文学を代表する短編小説の名手だ。村上春樹が翻訳を出しているので、日本でも知名度は抜群であろう。短編であれば挫折する心配はないし、村上春樹が紹介しているとなれば面白いに決まっていると思い、彼の処女短編集『Will you please be quiet, please?』(邦題は『頼むから静かにしてくれ』)のペーパーバックを購入したのだった。
読み始めて最初に気づくのが、その文章の平易さである。難しい単語はほぼ使われていないし、言い回しに関してもくどい比喩表現は全くない。ただ淡々と状況を描写する言葉が並んでいる。無駄な部分は一切ない。これはヘミングウェイの短編を読んだときの感覚に近いものがある。この文体を見ただけでレイモンドカーヴァーが非常に肉体的な作家であることがわかる。扱うテーマも文章と同じく浮ついてはいない。私たちの日常で起こりうること、例えば学校をさぼって釣りに行く少年の話とか、レストランに来る太った男の話だとか、どれも自分の周りにいそうな人物であったり、出来事である。
カーヴァーのすごいところは、何の変哲もない日常の風景を面白く、恐ろしく描けるところにある。そういってしまうと簡単だが、カーヴァーの日常から何か深いものを浮かび上がらせる力は本当に天才的だ。言葉の使い方や言い回しでその面白さや恐ろしさを表すのではない。言葉はこの上なく平易で変なトリックも使っていない。しかし言葉と言葉の隙間からこちらを覗く存在がいることを読者は目の端で常に意識することになる。それは言葉では言い表すのが難しい。
カーヴァーの世界では全てのものの背後にその「こちらを覗く存在」がいる。彼の作品では会話が中心になることが多いのだが、登場人物たちの会話はとても自然で間の取り方も絶妙だ。違和感なく読者も一緒の席に座っているような気分になる。そして会話自体や会話の途中での登場人物たちの手の置き場所、目線の移動、はたまた彼らを取り巻くテーブルやイス、消えたテレビ、飼っている猫などそこにある全てのものの背後に「こちらを覗く存在」がいる。
人間と人間の関係には、どうしても乗り越えられない不和がある。カーヴァーの紡ぐ言葉の行間から覗く存在とは、人間存在の根源に繋がるものだと思う。
カーヴァーは、ヘミングウェイやフラナリー・オコナーを好んで読んでいたこともあるらしい。ただ彼の文体には、彼自身の人生経験が大きく反映している。父のクレヴィー・レイモンド・カーヴァーの死、結婚、師ジョン・ガードナーとの邂逅。
中でもカーヴァーに最も書くことについて教えてくれた人は、彼の2人の子どもたちだという。
"I have to say that the greatest single influence on my life, and on my writing, directly and indirectly, has my two children. "(『FIRES』P.31)
若いカーヴァーにとって、子どもたちの存在は大きな希望というよりむしろ絶望を与えた。彼は家族を支えるために、製材工場働き他にも清掃員や配達員、夏はチューリップ摘みなど様々な仕事に追われ、非常に貧しい暮らしを強いられていた。彼はそんな中で、1、2時間の空いた時間を作って、作品を書いていたのだ。限られた時間の中では、長編小説を書くような集中力を保つことは難しい、そして毎日の暮らしに忙殺されているカーヴァーは、自分と全く関係ない世界の出来事を書こうとも思わなかった。こうして、彼は自分の生活の中で特異な文体を獲得したのである。
だから彼の作品の多くは諦念や絶望があるにも関わらず、生きて行こうとするわずかな希望も残しているように見える。道が開けるというような大きな希望が前にあるわけではなく、かろうじて今この瞬間、私の足元には道が続いている、という類の希望である。
僕は"To look up or down no road but it stretches and waits for you, however long but it stretches and wait for you, "というウォルト・ホイットマンの詩『Song of the Open Road』の一節を思い出す。道が続いていますように、カーヴァーが子どもたちの世話や仕事に追われながら、こう祈っている声が聞こえてくる気がする。
カーヴァーは70年代、アルコール依存症に苦しんだ。そして見事克服するのだが、今度は癌に冒され、1988年に50歳の若さでこの世を去った。私は今、彼の最高傑作との呼び声高い『CATHEDRAL』を読んでいる。私の印象では、彼は自分の知っている世界しか書かないとはいえ、決して自伝的に記憶をたどって書く訳ではない。彼は柴田元幸氏の言葉を借りれば、「読者的な作家」である。彼自身、自分の書く小説の筋を書く前から把握してはいず、先に少し見える光を頼りに目の前を掘り進んで行く。どこに出るかは本人もわかっていない。だから彼の小説の人物たちは、とても生き生きしていて妙に型にはまっていない。そこがカーヴァーの大きな魅力の一つだと思う。ただ『CATHEDRAL』の中では、少し物語を近くに置いているというよりは、自分自身の懐近くに置きすぎているように感じる。アルコール依存の男の話などはやはりカーヴァー自身を思い起こさずにはいられない。それはカーヴァーにのめり込みすぎている自分のせいなのかもしれないが。ただ今のところ、僕にとって一番信頼できる作家はカーヴァーであることは変わらない。
2012年4月3日火曜日
ポップミュージックの考察(ももいろクローバーzも含め)
ロックンロールリバイバルムーヴメント全盛期である00年代前半、毎日MTVにかじり付いていたひとりの少年は、その日も学校から帰ってくるとブラウン管の前にいた。ホワイトストライプスのライヴが始まるところだったが、バンドが登場する前に、みすぼらしい格好をした禿げ親父(そうだ、その人はR.E.Mのマイケル・スタイプであった。)がカメラ前に出てきてこういった。「ロックは死んだなんて言われている。この男女2人を見てもまだそんなことが言えるのか?」
確かにあのとき、束の間ロックンロールは生き返ったのかもしれない。まるで磔にされたキリストが復活したかのように。ただ今はどうなのだろう。ポップミュージック全体を見渡してみても、ヒップホップの方面で新たな動きが見られるかもしれないが、シーン全体を何年にも渡って揺さぶるインパクトと目新しさはあるのだろうか。
音楽のフロンティアを探し求める動きは、1970年代がピークであったと思う。西側と東側によって分断された都市の閉塞感と緊張感、また逆にアフリカの開放的でフィジカルな魅力に溢れたビート、それらの要素をアメリカのような豊かさとその前向きなパワーによって支えられた世界が発見した時に生まれた数々の素晴らしい結晶としての音楽。それは現実世界では決して和解することがない人類を、音楽というひとつの思想によって繋いだ奇跡的な時代なのではないかと思う。またその後に起こったニューヨークのパンクロッカーを発端にした揺り戻しも入れると、この10年にポップミュージックの歴史が集約されているような気になってくる。
果たして現代の音楽に、今まで発見されていない価値観を持ったものが現れるかどうか疑問である。物語の形式は粗方使い尽くされ、もう残っているのは言葉によって形骸化した音楽とは言えないような音楽のガラクタだけではないか。しかし、ブルックリン周辺とかロサンゼルスといった地域で最近起こった60年代のサイケデリックロックの狂人たちの音、1980 年代のギラギラしたシンセの音を掘り起こしたグループ、MGMTやLCD SOUNDSYSTEMはそんな現代においての音楽の進むべき道の一つを示したように思える。
彼らはまず先人たちが歩んだ歴史に敬意を表す。膨大な量の音楽をインターネットも使って発見して消化し、当時のヴィンテージ機材を使いもする。そして明らかに歴史をそのまま固定化され横たわる死んだ歴史として捉えることをせず、それが自分たちの手で再編可能な生きたものとして歴史を捉えている。それは彼らの音楽の中には、当時は日の目を見ることがほとんどなかったようなカルトヒーローを臆することなく称賛し、引用するような態度が見られることからわかる。ポップミュージック史の中で、たぶんそのままにしていたら埋もれて二度と浮かび上がることはなかったような人たちを彼らは発掘したのだ。それはやはりYOUTUBEによって過去の音源や映像が発見しやすくなったことが多分に関係していると思われるが、彼ら自身の現代ポップミュージックの現状に対する批評眼と知的情熱をがなしえた達成であることは間違いなく言える。
1人1台のパソコンを簡単に持てる時代になったことは明らかに、上に挙げた知的な人々に最強の武器を与えることになったのだと思う。それは音楽だけではなくあらゆる芸術媒体に革命的な出来事であるにちがいないが。立派なスタジオで録音しなければ得られなかったような音がオーディオインターフェイスとMIDIキーボードさえあれば瞬時に手に入れることができるという点で、その中でも音楽に一番の衝撃を与えただろう。ロックスターは死んだ、しかし、今や自分の部屋で自分だけの音楽を作る環境を手に入れたのだから、みんながみんなロックスターのようなものである。
ミュージシャンは作家に近づいたように思える。自分だけの物語を書き、世界との調和を果たす現代作家のような存在に。だからNo ageやGIRLSのようなカリフォルニアを拠点とするバンドのように、とてもローカルに根付いていて、音楽に関しても売れることよりは、自分たちのコミュニティーを作り上げることを目指すような人たちも増えてきている。これはアメリカ的というよりは日本的な私小説文化に近いところがある。外の世界に対して何かを突きつけるというよりは自分たちの狭いコミュニティー内で充足することを目的とするような感覚だ。こういった動きは非常に興味深いが、私はこのラップトップによる音楽制作(DTM)が70年代の革新性と80年代の非常にスケールが大きく大衆的なポップミュージックを兼ね備えたような、力の強い音楽を作ることができるのではないかと思っている。
ももいろクローバーZ。このグループ、というかこのグループを取り巻くプロジェクト全てもまたこれからの音楽が進むべき一つの道である、と私は強くそう思っている。彼女たちの特徴はアイドルソングとは相容れないと思われるロック、パンク、ヘビーメタル、エレクトロ、ミュージカル音楽、ガムラン音楽など多彩なジャンルを取り入れて、それを全力の歌とダンスで歌い上げるというものだ。曲の提供はヒャダインとNARASAKIという2人の人物が中心となっている。彼女らの代表曲であるピンキージョーンズは最大トラック数を使用して、音を重ねているという。これは面白いと思った。ビートルズは後期にやっと8トラック録音ができるような時代だったと思うが、40年ほどの月日を経て、個人が120を越える多重録音ができる時代になったこと、そして一般家庭レベルに導入が可能になったこと、これは現代の特性ではないか。
圧倒的な情報が匿名性を帯びたネット住民たちによって流され消費される現代を映し出す音楽とは、圧倒的な情報量と匿名性の高い解析された音楽ジャンルの多彩さとを組み合わせたものであって良いと思う。それはひとつの明快な現代のポップミュージックへの解答であると思う。そこに生身の人間の、今をまさに生きている若者の熱が加わること、ポップミュージックの根幹となる、それは多くの人々に共有されるような、とても原始的な感情を呼び起こすようなものでなければならない。歴史と一続きで連なり、それでいて前に突き進む「物語」が出来上がった時、それは現代のポップミュージックと言えるものになるのではないか。
ロックは死んだ。それは認めるべきかもしれない。ただ根にある本能が死ぬことはないし、現代にしかできないことというのはかろうじて存在している。それを実践しているのがアイドルグループであるとしても、少なくとも僕にはそう思える、保守的なポップミュージックファンにはあんなもの気持ち悪いと猛烈に怒る人もいるだろうけれど、僕はそういう人たちを見ると嬉しくなってしまう。新しい表現はいつだって最初は醜い、という有名な芸術に関する箴言を逆説的に彼らは認めているようなものだから。
確かにあのとき、束の間ロックンロールは生き返ったのかもしれない。まるで磔にされたキリストが復活したかのように。ただ今はどうなのだろう。ポップミュージック全体を見渡してみても、ヒップホップの方面で新たな動きが見られるかもしれないが、シーン全体を何年にも渡って揺さぶるインパクトと目新しさはあるのだろうか。
音楽のフロンティアを探し求める動きは、1970年代がピークであったと思う。西側と東側によって分断された都市の閉塞感と緊張感、また逆にアフリカの開放的でフィジカルな魅力に溢れたビート、それらの要素をアメリカのような豊かさとその前向きなパワーによって支えられた世界が発見した時に生まれた数々の素晴らしい結晶としての音楽。それは現実世界では決して和解することがない人類を、音楽というひとつの思想によって繋いだ奇跡的な時代なのではないかと思う。またその後に起こったニューヨークのパンクロッカーを発端にした揺り戻しも入れると、この10年にポップミュージックの歴史が集約されているような気になってくる。
果たして現代の音楽に、今まで発見されていない価値観を持ったものが現れるかどうか疑問である。物語の形式は粗方使い尽くされ、もう残っているのは言葉によって形骸化した音楽とは言えないような音楽のガラクタだけではないか。しかし、ブルックリン周辺とかロサンゼルスといった地域で最近起こった60年代のサイケデリックロックの狂人たちの音、1980 年代のギラギラしたシンセの音を掘り起こしたグループ、MGMTやLCD SOUNDSYSTEMはそんな現代においての音楽の進むべき道の一つを示したように思える。
彼らはまず先人たちが歩んだ歴史に敬意を表す。膨大な量の音楽をインターネットも使って発見して消化し、当時のヴィンテージ機材を使いもする。そして明らかに歴史をそのまま固定化され横たわる死んだ歴史として捉えることをせず、それが自分たちの手で再編可能な生きたものとして歴史を捉えている。それは彼らの音楽の中には、当時は日の目を見ることがほとんどなかったようなカルトヒーローを臆することなく称賛し、引用するような態度が見られることからわかる。ポップミュージック史の中で、たぶんそのままにしていたら埋もれて二度と浮かび上がることはなかったような人たちを彼らは発掘したのだ。それはやはりYOUTUBEによって過去の音源や映像が発見しやすくなったことが多分に関係していると思われるが、彼ら自身の現代ポップミュージックの現状に対する批評眼と知的情熱をがなしえた達成であることは間違いなく言える。
1人1台のパソコンを簡単に持てる時代になったことは明らかに、上に挙げた知的な人々に最強の武器を与えることになったのだと思う。それは音楽だけではなくあらゆる芸術媒体に革命的な出来事であるにちがいないが。立派なスタジオで録音しなければ得られなかったような音がオーディオインターフェイスとMIDIキーボードさえあれば瞬時に手に入れることができるという点で、その中でも音楽に一番の衝撃を与えただろう。ロックスターは死んだ、しかし、今や自分の部屋で自分だけの音楽を作る環境を手に入れたのだから、みんながみんなロックスターのようなものである。
ミュージシャンは作家に近づいたように思える。自分だけの物語を書き、世界との調和を果たす現代作家のような存在に。だからNo ageやGIRLSのようなカリフォルニアを拠点とするバンドのように、とてもローカルに根付いていて、音楽に関しても売れることよりは、自分たちのコミュニティーを作り上げることを目指すような人たちも増えてきている。これはアメリカ的というよりは日本的な私小説文化に近いところがある。外の世界に対して何かを突きつけるというよりは自分たちの狭いコミュニティー内で充足することを目的とするような感覚だ。こういった動きは非常に興味深いが、私はこのラップトップによる音楽制作(DTM)が70年代の革新性と80年代の非常にスケールが大きく大衆的なポップミュージックを兼ね備えたような、力の強い音楽を作ることができるのではないかと思っている。
ももいろクローバーZ。このグループ、というかこのグループを取り巻くプロジェクト全てもまたこれからの音楽が進むべき一つの道である、と私は強くそう思っている。彼女たちの特徴はアイドルソングとは相容れないと思われるロック、パンク、ヘビーメタル、エレクトロ、ミュージカル音楽、ガムラン音楽など多彩なジャンルを取り入れて、それを全力の歌とダンスで歌い上げるというものだ。曲の提供はヒャダインとNARASAKIという2人の人物が中心となっている。彼女らの代表曲であるピンキージョーンズは最大トラック数を使用して、音を重ねているという。これは面白いと思った。ビートルズは後期にやっと8トラック録音ができるような時代だったと思うが、40年ほどの月日を経て、個人が120を越える多重録音ができる時代になったこと、そして一般家庭レベルに導入が可能になったこと、これは現代の特性ではないか。
圧倒的な情報が匿名性を帯びたネット住民たちによって流され消費される現代を映し出す音楽とは、圧倒的な情報量と匿名性の高い解析された音楽ジャンルの多彩さとを組み合わせたものであって良いと思う。それはひとつの明快な現代のポップミュージックへの解答であると思う。そこに生身の人間の、今をまさに生きている若者の熱が加わること、ポップミュージックの根幹となる、それは多くの人々に共有されるような、とても原始的な感情を呼び起こすようなものでなければならない。歴史と一続きで連なり、それでいて前に突き進む「物語」が出来上がった時、それは現代のポップミュージックと言えるものになるのではないか。
ロックは死んだ。それは認めるべきかもしれない。ただ根にある本能が死ぬことはないし、現代にしかできないことというのはかろうじて存在している。それを実践しているのがアイドルグループであるとしても、少なくとも僕にはそう思える、保守的なポップミュージックファンにはあんなもの気持ち悪いと猛烈に怒る人もいるだろうけれど、僕はそういう人たちを見ると嬉しくなってしまう。新しい表現はいつだって最初は醜い、という有名な芸術に関する箴言を逆説的に彼らは認めているようなものだから。
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