この作品は『キックアス』のマシューヴォーンが監督しているx−メン前日譚である。『キックアス』は非常に評価され、またX-MENシリーズはどれも面白かったため、相当なプレッシャーと期待がかけられていたのではないだろうか。
ウルヴァリンやサイクロップスという有名なキャラクターが出てこない(ヒュージャックマンは少しだけ出てくるのだが。)、前3作で良い終わり方をした、またずいぶん前に見たガーディアンのレビューであまり良い評価がされていなかったので、僕はそこまで見たいという気持ちがなかったし、ちょっと心配な部分もあった。
映画の内容に関しては、『ダークナイト』から大きな影響を受けているなと感じた。まず、ストーリーの展開がものすごく速い。『ダークナイト』は圧倒的な情報量とめまぐるしい場面展開があるが、見ていて同じような感覚を覚えた。xメンでは、実際にあったキューバ危機という歴史的な事件を水平線として、その上にミュータントと人類の争いが垂直に置かれている。『ダークナイト』同様に世界を巻き込みながらも、キャラクターたちの個人的な物語が主題であるのだ。
情報を詰め込んで見せることは、圧倒的な世界観を観客に与えるために非常に有効な手段であるが、少しでもそこに齟齬があれば、観客の頭にはクエスチョンマークができて、それがスピード感で多少ごまかされているとはいえ、やはり違和感を与えてしまうし、また作品を貫く一本線も霧がかかったように不明瞭になってしまうのだ。
ミスティークとビーストの恋愛関係に発展する際の感情の動きは全くこちらには理解できないウルヴァリンがカメオ出演するのは良いが、あの一言で終わってしまうのも謎だ。ミュータントの能力に関しても、なんであの女はクリスタルみたいになるしテレパス能力も持っているのか、訓練生たちを発見したは良いが、ひとりひとりの能力を紹介するやり方が、まるで大学生の新入生歓迎会での自己紹介風なのが、取って付けたみたいで不自然だと思ってしまった。シーンとシーンの繋ぎ方にも???となってしまうところがあった。
俳優たちのキャスティングは個人的にすごく好きだ。ケヴィン・ベーコンは、いくつになっても相変わらず安定した悪役ぶりを見せてくれるし、ジェームズ・マカヴォイとマイケル・ファスベンダーもとても知的な雰囲気で役に合っていたと思う。そしてミスティークを演じたジェニファー・ローレンスの可愛らしさと瑞々しい肉体。もっと彼女をセクシーに映してもよかったのではないか。続編ではもう見られないんだろうから、ちょっと残念である。
ミュータントを攻撃する人間の姿、それに対するプロフェッサーXとマグニートの思想の違い、それは単なるアメコミの世界を超えて、ダーウィン以降の人類の歩みについての大きな景色を見せていたと思う。三部作になる予定らしいので、次は妙なキャラクター紹介などは省かれているだろうし、もっと面白くなる要素はあるだろう。それにしても最近は前日譚ものがとても多い。今夏には『エイリアン』の前日譚『プロメテウス』も公開されるという。どんな形であれ、好きな作品の続編が見られるのは素直に嬉しいことだ。
2012年5月28日月曜日
2012年5月25日金曜日
2012年5月24日木曜日
2012年5月23日水曜日
2012年5月14日月曜日
2012年5月11日金曜日
2012年5月9日水曜日
BLACK SWAN
自分と自分の別人格、ダブル(分身)ものの映画作品で思いつくのは、まずヒッチコックの『サイコ』、ミッキーローク主演の『エンゼルハート』、『ファイトクラブ』あと『ミミック』とか色々ある。プロットで驚くということは現代の映画において必ずしも重要であるとは思わない僕は、『ブラックスワン』のナタリーポートマン演じるニナとミラキュニス演じるリリーの関係性については別に書きたいと思わない。
ただこの映画は展開がある程度予想できるとはいえ、とても不気味で不安感を煽るのだ。俳優陣の素晴らしい演技が作品全体にテンションを与えていることが単純に大きいと思った。ナタリーポートマンは今作で、プレッシャーに押しつぶされる情緒不安定な少女の表情、女性というより人間の崇高な肉体美、潜在意識に眠る自我など全く異なる女性の面を、全く継ぎ目の見えない完璧な、まるで全速疾走で綱渡りをするかのような、危ういギリギリの演技で見せてくれる。ベッドの上で自慰に耽っているときの筋肉の動きと恍惚とした顔、母親に白鳥に抜擢されたことを報告するときの泣き顔、ラストの白鳥が黒鳥に変身して踊っている時の狂気じみた顔を見てほしい。真逆のものが一続きであるのがわかるだろう。もしかしたら『レオン』の時、既に彼女にはこういった相容れない要素を一作品の中で見せてしまう希有な才能を発揮していたのかもしれない。家族を失くして泣きはらす顔、復讐に燃える冷静で知的な顔、大人を誘惑する妖艶な顔。改めてナタリーポートマンの凄さを思い知らされた。
脇を固める俳優も実に適切に配置されている。ヴァンサンカッセルのあの胡散臭く憎たらしい顔、母親役のバーバラハーシーの娘を見る愛憎こもった狂気の笑顔、そしてウィノナ・ライダーの演じる落ちぶれたダンサー。『シザーハンズ』のブロンドの美少女はどこにいったんだと悲しい気分になったし、役があまりに彼女の現状と被る気もしたため、胸が痛む部分もあったけれど、この仕事を引き受けて過激な演技を成し遂げたウィノナには女優魂を見た気がした。
また作品にテンションを与える上で、ニナの背中に現れる謎の引っかき傷、指先の切り傷はとてもうまい演出であると思った。それらは誰もが経験したことがあるであろう恐怖であり、痛みである。またその傷は最終的に彼女の追い求めた完璧さ、快楽へと繋がっていくことも興味深い。痛みによって快楽を知るとは、エミリーディキンソンの詩を思い起こすし、また18世紀のピクチャレスクの概念も思い出す。美と恐怖とは同一であるのだという。
ただこの映画は展開がある程度予想できるとはいえ、とても不気味で不安感を煽るのだ。俳優陣の素晴らしい演技が作品全体にテンションを与えていることが単純に大きいと思った。ナタリーポートマンは今作で、プレッシャーに押しつぶされる情緒不安定な少女の表情、女性というより人間の崇高な肉体美、潜在意識に眠る自我など全く異なる女性の面を、全く継ぎ目の見えない完璧な、まるで全速疾走で綱渡りをするかのような、危ういギリギリの演技で見せてくれる。ベッドの上で自慰に耽っているときの筋肉の動きと恍惚とした顔、母親に白鳥に抜擢されたことを報告するときの泣き顔、ラストの白鳥が黒鳥に変身して踊っている時の狂気じみた顔を見てほしい。真逆のものが一続きであるのがわかるだろう。もしかしたら『レオン』の時、既に彼女にはこういった相容れない要素を一作品の中で見せてしまう希有な才能を発揮していたのかもしれない。家族を失くして泣きはらす顔、復讐に燃える冷静で知的な顔、大人を誘惑する妖艶な顔。改めてナタリーポートマンの凄さを思い知らされた。
脇を固める俳優も実に適切に配置されている。ヴァンサンカッセルのあの胡散臭く憎たらしい顔、母親役のバーバラハーシーの娘を見る愛憎こもった狂気の笑顔、そしてウィノナ・ライダーの演じる落ちぶれたダンサー。『シザーハンズ』のブロンドの美少女はどこにいったんだと悲しい気分になったし、役があまりに彼女の現状と被る気もしたため、胸が痛む部分もあったけれど、この仕事を引き受けて過激な演技を成し遂げたウィノナには女優魂を見た気がした。
また作品にテンションを与える上で、ニナの背中に現れる謎の引っかき傷、指先の切り傷はとてもうまい演出であると思った。それらは誰もが経験したことがあるであろう恐怖であり、痛みである。またその傷は最終的に彼女の追い求めた完璧さ、快楽へと繋がっていくことも興味深い。痛みによって快楽を知るとは、エミリーディキンソンの詩を思い起こすし、また18世紀のピクチャレスクの概念も思い出す。美と恐怖とは同一であるのだという。
2012年5月7日月曜日
2012年5月6日日曜日
grimes
grimesは聴いた瞬間に、すごいなあ売れるなあと思った。時代の先陣を切ってる感じだ。シンセのサウンドはクラフトワークに通じる暖かいヴィンテージなんだけど、80年代の歌姫を想像させるこの女性ボーカルはすごく良いな。リバーブがかかっているからどことなく、90年代のMassive Attackあたりかコクトーツインズのようなぞっとする荘厳さも加わってるからチルウェイヴ周辺にも気を配っていながら異質な感じがある。リバーブの霧が突如消えてピアノの生音だけのだだっ広い風景が開けたかと思いきや、次の瞬間にはチープなリズムマシンと、オクターブ違いのベース音で王道なディスコミュージックに戻っていく。この空間の使い方、間の置き方とか素晴らしいなと思った。ライブ映像を見たら女の子がシンセの前で1人で全部操作して歌っているじゃないか。こういうのも今っぽい。
Oblivionを聴いて頭に浮かんだのは初期マドンナ。マドンナが2012年を生きる女子だったら、それはGrimesになるんじゃないかとちょっと思ったりした。
2012年5月5日土曜日
アダム・ヤウク、あんたは最高だ。
私が洋楽を意識的に聴き始めた高校生の時に、beastie boysの『To the 5 Boroughs』がちょうどリリースされたと記憶しています。MTVでCh-Check It OutのPVをしょっちゅう見ていました。都会的で知的でな雰囲気を持ちながらも、アホで馬鹿げたとっつきやすさがある彼らは、もしかしたら私にヒップホップ、ひいては洋楽に乗っかる乗車券をくれた存在だったのかもしれないと今になって思います。
ハードコアとヒップホップという過激なフォーマットの上で、あれほど気が抜けていてクールなことができるのはあの3人だけではないでしょうか。僕はこの2つのジャンルが今大好きですが、ビースティーボーイズがいなかったら、たぶん手に取ることはなかったかもしれないとも思います。僕みたいな良い子ちゃんが敬遠しがちであるハードコアやヒップホップと繋がる入り口を用意してくれた彼らはすごく偉大だなと実感しています。感謝しています。
アダム・ヤウクさんは好きでした。3人の中では一番知的で渋い雰囲気を出していて改めて写真を眺めてみると、本当にこれからもっと良いおじさんになったろうなあと考えてしまいます。fight for your rightを久しぶりに聴いてみましたけど、普段の生活で忘れてしまいそうな、自分を取り巻く世界に対する知性とか野性の重要性を思い出させてくれます。現代の世界に必要なことって、ビースティーみたいな人間なんだって思います。並々ならぬエネルギーと物事の本質を見つめる純粋な眼差し、それを支える知性。本当にかっこいい奴らです。
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