2012年5月9日水曜日

BLACK SWAN

自分と自分の別人格、ダブル(分身)ものの映画作品で思いつくのは、まずヒッチコックの『サイコ』、ミッキーローク主演の『エンゼルハート』、『ファイトクラブ』あと『ミミック』とか色々ある。プロットで驚くということは現代の映画において必ずしも重要であるとは思わない僕は、『ブラックスワン』のナタリーポートマン演じるニナとミラキュニス演じるリリーの関係性については別に書きたいと思わない。
 ただこの映画は展開がある程度予想できるとはいえ、とても不気味で不安感を煽るのだ。俳優陣の素晴らしい演技が作品全体にテンションを与えていることが単純に大きいと思った。ナタリーポートマンは今作で、プレッシャーに押しつぶされる情緒不安定な少女の表情、女性というより人間の崇高な肉体美、潜在意識に眠る自我など全く異なる女性の面を、全く継ぎ目の見えない完璧な、まるで全速疾走で綱渡りをするかのような、危ういギリギリの演技で見せてくれる。ベッドの上で自慰に耽っているときの筋肉の動きと恍惚とした顔、母親に白鳥に抜擢されたことを報告するときの泣き顔、ラストの白鳥が黒鳥に変身して踊っている時の狂気じみた顔を見てほしい。真逆のものが一続きであるのがわかるだろう。もしかしたら『レオン』の時、既に彼女にはこういった相容れない要素を一作品の中で見せてしまう希有な才能を発揮していたのかもしれない。家族を失くして泣きはらす顔、復讐に燃える冷静で知的な顔、大人を誘惑する妖艶な顔。改めてナタリーポートマンの凄さを思い知らされた。
 脇を固める俳優も実に適切に配置されている。ヴァンサンカッセルのあの胡散臭く憎たらしい顔、母親役のバーバラハーシーの娘を見る愛憎こもった狂気の笑顔、そしてウィノナ・ライダーの演じる落ちぶれたダンサー。『シザーハンズ』のブロンドの美少女はどこにいったんだと悲しい気分になったし、役があまりに彼女の現状と被る気もしたため、胸が痛む部分もあったけれど、この仕事を引き受けて過激な演技を成し遂げたウィノナには女優魂を見た気がした。
 また作品にテンションを与える上で、ニナの背中に現れる謎の引っかき傷、指先の切り傷はとてもうまい演出であると思った。それらは誰もが経験したことがあるであろう恐怖であり、痛みである。またその傷は最終的に彼女の追い求めた完璧さ、快楽へと繋がっていくことも興味深い。痛みによって快楽を知るとは、エミリーディキンソンの詩を思い起こすし、また18世紀のピクチャレスクの概念も思い出す。美と恐怖とは同一であるのだという。

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