2011年10月9日日曜日
Dirty Beaches
Dirty beachesの佇まい。彼がステージに立つ姿はとてもクールで、悲しい。この悲しいに惹かれる。孤独がにじみ出ている。ポマードでべっとりの髪の毛を櫛で撫で付け、平たいマイクを抱え込んで、ジムモリソンのようとも、イアンカーティスとも言われる低く、たまに素っ頓狂な不安定で不穏なボーカル。白いストラトキャスターはあまり弾かないけど、ずっと首から提げている。Dirty beachesは複数形なのに彼は一人でステージに立つんだ。後ろで流れるビートは70年代後半のポストパンクから、さかのぼってlove me tenderを歌うプレスリー、バディホリーのリバーブがかかったギター、ロネッツ,シュープリームスといった柔らかなポップスまで様々な要素が詰まっている。ノスタルジー、昨今のインディーズシーンでよく耳にする言葉だ。映画のような音楽と言われるDirty beachesのサウンドもそうだろう。この映画とは例えば暗黒街の顔役みたいなノワールのことを指しているのか。
僕は彼がただのオールディーズファンであるとしたら、レコードは買うまでもなかったろう。彼の醸し出すサウンドは、彼の人生から来る匂いが多分にある。実際、彼は台湾生まれで各地を転々とする生活をしていたそうだ。アメリカやカナダを拠点にしている一方、北京のロックシーンともつながりがあり当地でライブも行っている。
彼の音楽は自分自身の人生を色濃く反映した、ごく自然に出てきたものだと思う。僕はWashed OutやDeer hunter, Beach house,Ariel Pinkといったリヴァーヴが印象的なバンドとまた違った感覚でDirty Beachesを見ている。もちろん、上に挙げたほかのバンドはそれぞれ独自のサウンドを持っていると思う。ただ中でも、Dirty Beachesは僕の感覚に触れるものが大きかったということだ。深いリヴァーヴ以上の深い孤独の闇が見える気がするのだ。
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